20240111埼玉県社労士会55周年 木山裕策氏
「ガンが教えてくれたこと〜自分らしく生きる〜」
○自己実現、自分にしか出来ないこと
○お金のため
・大学卒業後、24歳、夢、映画シナリオライター、山田太一先生に習っていた。脚本家になりたかった。胸を張れるものなかった。
・人発信(親とか)「これやってみたら」は、得意だった。
・自分の責任で頑張る、楽しい。
・28歳。夢叶わなかった。焦り。
・自分を否定し始める、自分との戦い。
・叶わなかった夢、じくじく、苦い腹の中にある。
・27歳結婚。子供が生まれた。
・初めて就職。リクルート楽しかった。会社人間になった。
・営業、評価、給与。
・契約社員、3年おきに子供たち生まれた。課長に昇進。
・20代夢⇒30代お金へ
・子供たちたちのため、子育て楽しい。
・社会貢献がしたい、人・世の役に立ちたい、将来、子供たちが幸せな人生を送れるように。
・がんと一緒に働ける。共生。朝日新聞
・子供たちたちの考え方にバリエーションが増えればよい。
・36歳ガン、会社健診で見つかった。
・人生キラキラさせるため、働く理由、がんになって見つけた夢、
・甲状腺がん 2*3p。会社1か月休業。
・声が出なくなるかもと言われた。
・小学生低学年含めて、3人目生まれたばかり。
・全身麻酔、入院中、テレビで薬丸岳氏(脚本家時代の友人)、江戸川乱歩賞受賞。手術直前。
・歌うのが好き。悔しい。チャレンジしたい。人生最悪。
・声残った。8p切った。1年歌えない。
・時間の使い方の変化、他人への向き合い方の変化、自分の夢への向き合い方の変化。
・失敗したら恥ずかしい、プライドが、⇒今しかない。
・子供たちのピアノの発表会、お祭りとか、人前で積極的に歌った。
・40歳前、深夜TV「歌スタ」東野幸治氏。
・38歳4月、多胡邦夫先生に病気の話、子供たちへの思い、を話した。
・「home」誕生。
・38歳の8月。家でも練習した。
・エイベックスの社長に対して、歌った。子供たちも応援。
・不合格だった。
・人生の全てをかけて、気合が違っていた。
・俺には何もないんだ。子供たちが泣いちゃった。自分の失敗で子供たちに傷をつけてしまった。
・多胡邦夫さん、諦めていない。短いって言われたから落ちた、フルコ―ラスつくるよ。
・テレビ番組のルール変えた。「リベンジ企画」。
・フルコーラス作るから、子供たちの応援どうします?断った。
・多胡さん「負けると思っているのなら、今すぐ降りろ。」「子供たちにどんな姿を見せたいのか?」
・「がんばっている、勝つ姿を見せたい」
・「うまくいかないこともある。勝つ姿ではないのでは?転んだあとの姿じゃないか?」
(再チャレンジの姿勢が大事)
・気持ちの張り方が違う。
・39歳でデビュー
・勝ち続けるというわけではなく(継続し続ける姿勢、が大事)
○コロナ禍でも夢をかなえたい
・5年間準備してからの独立。
・しかし、人前で歌えない、話しできない。仕事の予約がなくなった。
・それでも何かやれることはないか?「YouTube」発信し続けた。
・同じ考えを持っていた人、集まる。
・島根県出雲市小学校。田んぼで、子供たちと歌った。リモートアカペラ。
・TV放送へとつながった。
・発信すること大事。現在、アルバム*7。
・由紀さおりさん、耳鼻科で会ったことが契機となって、コンサート呼んでもらえるようになった。ありがたい。